こんにちは、ともこです。

 

 

今日オススメする本は

 

 

「その悩み、すでに哲学者がすでに
答えでしています」

 

小林昌平さん

 

 

 

HSPさんや、繊細すぎて
人間関係が辛い方。

 

 

日々の人付き合いでの苦労ってありますよね。

 

 

それを遥か昔の海外の
「心とは何か〜」を考えている偉い人たちが

 

今現代を生きる私たちとおんなじような事で
悩み
それについての解決策を教えてくれる本。

 

 

繊細な方が悩みそうな
日常の困りごと。
私なりにスポットを当てて
それにストライク
当てはまる本の要約をしていきますね。

 

 

単なる
ポジティブ思考にうんざりなあなた。

 

 

も少し、具体的にかつ
カンタンに日々の悩みが
楽になる方法
お伝えしますね。

 

 

友人から下に見られて辛い

 

今日のあの人の態度は何?かしら?

 

舐められた感じで
下にみられたわ。

 

 

あの1言。
バカにされたみたいで嫌だったわ〜。

 

 

なんで言い返せなかったんだろう。

気が強い人だったら
黙っていないよね。

 

 

私ってやっぱり、弱いのかしら?

 

もんもんしちゃって
夜も眠れないってこと
ありませんか?

 

私、あります。

ホントーにちょいちょいあります。

 

 

優しい印象にみられるのか?
(心の中では結構毒づいています)

 

 

何言っても許される。と思われるのか?
(イヤイヤ、そんな訳ないんだけどな)

 

 

軽く扱われたり
失礼なこと言われたり

あるんですよ。

 

 

だからと言って
言い返したりできず。

その場でパッと言えないんですよ。

家に帰ってから
悔しさがこみ上げるタイプでして。

 

帰ってから
もう、その人がいなくてなってから
悔しさと寂しさとやるせなさで
いっぱいになります。

 

 

先日読んだ本の中の
「なるほど」な解決策なのですが。

 

自分と相手との課題を
すっぱりと分けよう

 

 

「嫌われる勇気」という本で
脚光を浴びた
アドラーの心理学に元ずいた
考え方なのですが。

 

 

友達にバカにされたり
下に見られたとき

 

やな気分になるのは
相手と自分の「課題」を分けられていないからだと
いうのです。

 

 

「課題」??

 

 

「問題」といった方がわかりやすいでしょうか。

 

 

人を見下す態度をするのは
相手の「問題」。

 

 

人を下にみないと人と
接することができない

何かがあるのでしょう。

 

性格的なのか?
生い立ちなのか?

 

 

日常のストレスのはけ口を探しているのか?

 

 

一方で

下にみられて、夜も眠れなくなる。

 

 

自信をなくしたり
やるせなくなるのは
私の「問題」。

 

人の言葉や態度で自信を無くしちゃったり
自己否定する。

相手の主体とする傾向があるのかも
しれません。

 

 

相手側の問題と
自分の問題

 

 

2つをごっちゃにしちゃうから
悩みが深くなるらしんです。

 

相手が自分を下に見ることは
私にはコントロールできない。

 

人がバカにしても

下の見ようとも

 

 

自信を失わず

自分を卑下せず

 

自分を大切にできるよう

守る強さを持つ。

 

これは私がコントロールできる部分。

これを磨いけば、いいだけの話。

 

 

相手を変えようとか
グーの音も出ないように言い負かせてしまおう。

なんて思っても
まず無駄。

 

 

相手が変わるのを期待すると
疲れます。

 

 

 

人を下に見るような人とは

距離を置く。

 

そんな風に人と接していたら

その人の
周りには誰もいなくなります。

 

 

「そうしないといられない」のは
相手の事情であり、相手の問題。

 

見切りをつけ
自分の中に入れない。

 

 

こちらで
解消できること。

 

やなこと言われても

顔に出さなかったとしても
その場で言えなかったとしても

 

「心ん中」で跳ね返せる強さとか。

ばっかじゃない?また言ってる。

今度はどんな言葉で言ってくるんだ?

吠えてる動物みたいだね〜と
ユーモアで捉えてみる。

 

 

そして、
そんなこと人に言われたからって
揺るぐことのない自信をつける。

 

 

「相手の問題」は
引き受けなくてよしとすると
だいぶ頭の中がスッキリしたんです。

 

 

ぜひ、相手の「問題」と
私の「問題」と分けて見てみると
自分の心を守っていけますよ。

 

 

他人から認められたり
ちやほやされたい

 

 

今の日本に住んでいたら

 

 

普通にご飯をたべれて

 

 

屋根のあるところで眠れて

 

 

まあ、最低限の暮らし

できていますよね。

 

 

生きていくための最低限のものが
整っていると
人って
「認められたい」って
思うもの。

今や誰でもSNSを使って
自分の考えだったり
暮らしぶりだったり
好きなことを発信できる。

 

 

その反面、投稿したものへの
反響に一喜一憂して
疲れるってことありませんか?

 

 

フォロワーやいいねの数。

認められたい欲求が一時的に満たされても
すぐまた欠乏する。

 

 

そういう悪循環に陥りがちで
SNSは認められたい気持ちを
本当の意味で満たしてくれるツールでは
ないと
みんなどこかで認めているのではないでしょうか?

 

 

 

20世紀の精神科の先生であり
フランスの哲学者。

 

ジャック・ラカン。

 

 

この方がSNS時代にぴったりな
お話を残しています。

 

 

 

SNSで「いいね」してくれる人。
これを

 

 

「小文字の他者」としています。

 

 

 

もう一方で

「大いなる存在」

人によってはサムシンググレイト。

人によっては「神」としているかもしれません。

潜在的に感じている、大きな存在。

 

 

小さな他人に認められることより

大いなる存在に認められない限り
人は認められない欲求を満たすことが
できないと
しています。

 

 

生きている間に評価されなく
亡くなってから評価を得た

 

江戸時代の絵師

 

 

伊藤若冲。

 

当時、誰にも見向きもしなかった
プロジェクトに取り組み

長い間かけてやり抜く。

 

 

そしてオリジナルに作り出した作品が

 

「大いなる存在」に認められたものであり
心の底から
満足できたのだそう。

 

 

うわべだけ認められることを超えて
長い間
価値を生み出さないと
本当に人から認められることはない。

 

 

 

エネルギーを一人で燃え上がらせ
自分では手に負えないぐらいの
課題に取り組むこと。

 

 

そのためには
簡単で一瞬で手に入るような
承認ゲームと距離を置くことも必要。

 

 

繋がりすぎのネット環境から離れ
自分の関心を長い時間の中において
知る人ぞ知る存在になっていく。

 

 

一見すると

とても非効率。
傍目には変人??

 

 

でも熱中している本人は孤独で地味だけど
時を忘れるような
楽しい時間。

 

 

気が遠くなるほど途方もなく
誰も褒めてくれなくても
やれるところから取り掛かる。

 

 

自分の中にある
「大いなる存在」これと一体化しながら
失敗したり
うまく言ったりを繰り返し

 

見事やり遂げた時には

 

 

フォロワーたちからの
承認は後からついてくるのかもしれませんね。

 

 

こういう本当に没頭した後に得られる
達成感。

 

 

味わいたくなってきたのは
私だけでしょうか?

 

 

熱量のある
発信って、世の中の同調圧力に屈している人には
できないですよね。

 

 

人間関係がうまくいかないとか
人と違う自分に悩んで悶々としていたり

 

 

世の中に受け入れられなくて

苦しい。

 

 

そんなモヤモヤを抱えている
HSPさんや
繊細な方こそ

 

「大いなる存在」を味方につけて
声にならない心の思いを
ぶつけたら

 

きっとたくさんの人の声を
代弁していそうな気がします。

 

 

 

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